【宮崎正弘】書評『ある樺太庁電信官の回想』

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成30年(2018年)8月3日(金曜日)弐 通巻第5778号
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  明治、大正、昭和、平成の四代を生きた逓信省員は樺太で何を見たか
  北海道の鰊漁がすたれ、青年は大志を抱いて樺太へ渡った
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佐藤守『ある樺太庁電信官の回想』(青林堂
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 この物語は、フィクションではなく実話である。発見された日誌をほぼ忠実に復刻したものだが、平凡な通信員と思いきや、まことに波瀾万丈の人生が展開されている。
しかし、ドラマになるほどの激変要素は少なく、見方を変えて謂えば、あまりにもきまじめな逓信公務員の前半人生の記録である。とはいえ、在職中に五十数カ所の勤務先転勤という変動する時代を生きた。
 主人公の佐藤芳次郎(文中では内藤姓)は、明治時代に、北海道の日本海側、ニシンが豊漁を極めた時代に生まれた。ところが鰊漁ブームが去ると、コミュニティは貧困に喘ぎ、志を胸に秘めて樺太は渡った。ロシアとの間に千島樺太交換条約が締結され、南樺太に日本の統治が確定した時代だった。
イメージ 1イメージ 2 開拓移民が奨励され、南樺太にくまなく鉄道が敷かれ、あちこちに立派なビル、官公庁が建設され、神社も造られた。電報の需要が高く、あちこちに逓信省の電報電話、郵便局が設置され、曠野、悪路、大雪のなかを馬橇で走った。ヒグマとも出会い、電報配達は難儀を極めた。

イメージ 3 じつは評者(宮崎)も、南樺太を鉄道で一周した経験がある。
 十数年前になるが、JR北海道が主催した珍しいツアーを聞きつけ、出発地の稚内へ飛んだ。そこからはロシアのフェリーで渡った。
日本時代に豊原といったユジノサハリンスクでは、お城のような庁舎(いまはロシアの官庁)、多くの日本時代の建物は、神社を含めてそのまま残っていた。王子製紙の社宅も残っていた。
 日本時代、樺太には三十九万の邦人が暮らしていたのだ。
 その苦労話を基軸に主人公の前半の人生が語られる。当時の営みを樺太を舞台に活き活きと描かれているが、時代背景に
シベリア出兵、
上海事件、
五一五、
二二六がおこった。
なるほど、この日記からも、かの「通州事件」が樺太にまでちゃんと報道されていたことが分かる。そういう逸話が豊饒に挿入されている。

 とりわけ、瞠目したエピソードは、女優の岡田嘉子(よしこ)事件である。作者の在職中の事件だった。
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愛の逃避行」などと日本中が騒いだ。岡田嘉子共産主義者の杉本某を伴って、樺太国境からロシアへ亡命しようとした事件だ。
しかし現場にいた人から言わせれば、真相は「愛の逃避行」などという空々しいことではなく、当時、樺太で語られた事件のあらましは次のようであったと言うのである。
 「映画界にも進出した女優・岡田嘉子が、内縁関係にあった山田(隆弥)を捨てて映画の相手役・竹内良一と失踪して結婚。その後更に共産党員である杉本良吉と恋に落ち、杉本が軍隊に召集されることを怖れた二人が、ソ連側に」亡命しようとした。

  奇しくも樺太庁特高課長が連絡船のなかで岡田と出会う。岡田は「国境警備警官の慰問だ」などと嘘をついて特高課長の歓心を買った。
ころりと岡田の媚態に騙されて、行く先の警察署長に電話し、「唯々諾々と歓待にこれ努めた挙句、馬橇や宿屋の手配までも直接各派出所あてに指示をした」ほど、すっかり警戒心を失わせていたのである。
 「莫迦な大将、敵より怖い」の言葉通り、すべての善意の人々は岡田にころりと騙されていた。
 さはさりながら岡田はしぶとくソ連時代を生き延び、日本にも一度里帰りを果たすが、真相を語らないままに現世と訣別した。
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  さていったい何故、佐藤守閣下が本書を監修されてのかと訝しんだのだが、
なんと、著者の佐藤芳次郎氏は、佐藤閣下の父上なのだった。
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国境標石 東京絵画館前(レプリカ)
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『私って男を自分のものにするために国境を越えて監獄に入れられた おバカさん、よ』

追記
宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成30年(2018年)8月8日(水曜日) 通巻第5781号より

(読者の声2) 先週、貴誌の書評にあった『ある樺太廳電信官の回想』(佐藤守著 青林堂)への感想です。
 大変興味深い記録なので早速購入しました。というのは、父が著者(佐藤守閣下の父上)の退職された1年後に逓信省から樺太庁に3年間出向していたからです。

 小生も記憶はありませんが一歳時まで樺太の豊原にいました。戦後母から樺太には自転車の荷台に甲羅を載せると脚が地面につくような大きな蟹(タラバガニ)がいる、と聞いて腹を空かしていた私は妄想を巡らしたものです。
 本の内容は往戦前の日本青年の真面目な努力、苦労が上司に認められていった記録で人間関係はいろいろあるとしても戦前の日本社会をよく表しているとおもいます。また親戚などの助け合いがあり今より人間関係が密であったことが分かります。
 樺太では日本の左翼のソ連密出国の悲劇がありました。スターリンユートピア宣伝を真に受けたのです。その結果は恐ろしい拷問と処刑でした。
岡田嘉子杉本組は、すぐに杉本が銃殺され岡田は美女だったので、戦後まで生き残り、日本に一時帰国しました。その前に同じく密出国した寺島儀蔵は20年以上地獄の強制収容所生活を送りましたが、スターリンの死で生き残りその希有の体験を「長い旅の記録」に残しています。

父も日本の通信線がソ連に盗聴されている可能性があるので国境地帯に出張し、盗聴器を外したことがあるといっていました。
 昭和20年のソ連の侵略では、真岡電話交換手の集団自決事件が起こりました。
ソ連軍兵士は占領地では3日間強奪、暴行、強姦、殺人が黙認されたので、多くの日本人が被害を受け殺されました。
 逓信省関係の樺太引き上げでは20年8月22日の引揚げ船小笠原丸、泰東丸、第二新興丸の悲劇を忘れることは出来ません。
これはソ連の潜水艦に撃沈され留萌沖で全滅した事件です。父は昭和19年に出向が終わり本省に戻ったので私たちは助かりましたが、親しい部下の方は奥さん子供の家族が全滅しました。
この方は戦後抑留から戻った時、悲劇の留萌海岸を訪れましたが、何一つ事件を思わせるものがなく、やむなく海岸の小石を持ち帰り仏壇に供えたそうです。
母は父の在任当時奥様とおつきあいがあったので、この話をしながら本当にお気の毒だったと何度も語っていました。なおこのソ連潜水艦は、その後、大泊港に入港する際、日本海軍の機雷に触れて爆沈したとのことです。

  佐藤守閣下のお元気で闊達なお人柄に、真面目で刻苦奮励されたお父上の人柄が重なるように思われました。ご出版ありがとうございました。                    (落合道夫)