検証「桜田門外の変」 (2)井伊直弼

井伊直弼「無念なり!悲運の大老~開国への決断~」
 6:17   「一期一会」は、井伊直弼が広めた言葉である。
20:28 安政4(1857)年10月 ハリスが日米修好通商条約の締結を迫ってきた。
     外国掛・岩瀬忠震(ただなり)は上申書で提案。
     「天皇に締結の勅許を得て、反対派を抑えるべし」。
     これが、幕府にとってのヤブヘビになって行く。
34:16 安政5(1858)年6月 日米修好通商条約を勅許を得ないまま、締結。
     『公用方秘録』
     直弼「勅許を待たずに条約を結ぶと言う重罪は、あまんじて我一人で受ける決意である」
35:25 『公用方秘録・木俣本』
     調印の日、藩邸に戻って来た直弼と家臣の会話。
     家臣「諸大名の意見をお尋ねしてから、調印に臨めば良かったのですが・・・。」
     直弼「いかにもその事に考えが及ばなかったことは、無念の至りである。
         このうえは、身分伺する〔進退伺(しんたいうかがい)を出す〕よりいたしかたない。」
     直弼は、自分の落ち度に気づいて動揺している。
     彦根藩の学者が関わって記録を改竄し、「開国の英傑」にした(井伊達夫氏)。
42:46 安政7(1860)年3月3日 桜田門外の変 井伊直弼、暗殺さる。
43:32 安政5(1858)年12月 条約締結の半年後、幕府は孝明天皇から「叡慮氷解」の手紙を受けた。
     天皇「いずれ国力をつけた暁には蛮夷(外人)は遠ざけ、国法である鎖国の良法に戻すと言
         う一致した考えを持つなら、心は氷解した。」
     この文書は、外交上の配慮から公開できなかった(母利美和もり・よしかず氏)。